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この、川そのものであり光そのものであるような映画の、川面を流れゆく傷跡に目をすませ、詩の朗読めく川音に耳をすませる。川が多くを語らずにただ流れ、ただ流れることで包み込んでくれるように、俳優さんたちは表情やしぐさ、佇まいの、川面のように繊細な移ろいで、川底に沈んでいるものたちへとわたしたちの想像をいざなう。やがて川は、スクリーンのこちらがわへと流れてきて、わたしたちの内なる川と川とが重なりあう。

カニエ・ナハ(詩人)

生きるということも流れなのだと、この映画を観てあらためて思う。楽しい思い出も、悲しい思い出も、すべては流れていく。それに抗うことはできない。
しかし、それはただの諦めでもない。この抗いでも諦めでもない感覚が、人々の立ち居振る舞いや風景に深く、静かに映し出されていて、だから私は、これが私たちの希望ではないのかと感じはじめるのだ。

芹沢高志(環境計画家)

物語のなかで絶えず「光」と「水」の存在が瑞波たちの心に寄り添い続けている。
故郷の風景を見つめる3人の感情が、水の波紋のように重なり合い呼応する。
自分1人では扱いきれない重みの感情を持ったとき、
その感情を流し出す先、預けゆだねる場所があるならどんな場所だろう。
瑞波にとっては「川」でなければならなかった。
光を映す川面と見えない川底があるように、
生きている時間に寄り添う"見えない時間の広がり"に包まれるようだった。

民佐穂(美術家)

川を歩くと時間の流れは穏やかになる。記憶に焼きついた川に帰るとき、思い出が蘇る。水の底に溜まった記憶を思い出すように。
映画に映された傷跡の残る球磨川を見つめながら、息子を亡くした瑞波の揺らぐ感情に思いを馳せていた。
この映画に身をゆだねるとき、私の中に流れる時間もまた穏やかになる。

佐々木美佳(映画監督、文筆家)